色はいらないけど軸がほしい

音楽、本、映画、人、言葉、時間その他諸々

多角的混在革命

雨宿りをするには足りないほどの煌きが

着地した

その正体に気づくことができなくて

頭を困らせる

あなたは誰 どこから来たの

教えてくれないか

 

君はいつも側にいてくれたね

ここにいてよかったのかなんて思ったこともあったけど

僕は嬉しかったよ

はっきりとはわからない でもなんとなくわかるんだ

今なら

 

君が誰だろうと構わない

名前など尋ねない

温かく受け容れようと思ったんだ

だから顔を出してくれ 

魅せなくていい 迎えにいくよ

 

空を飛んでいた

「何かに対して熱意がない」と友人が言った。何かやりたいと思っても、思うだけで実行には至らないと。ふーん、本当にやりたいと思ってないから熱量がないのでは、と思ったけど、そうではないと。最終的には「母親も同じなんだよね、遺伝かな」と遺伝の所為にし出した。可能性に同情。まあ多分、やりたいことをやることができないってのはその何か自体に焦点は当ててなくて、その何かをしている「自分」に焦点がいってるんだろうね。だから、その何かをできない「自分」を守るために何かをできないのは自分ではなく遺伝だと。都合のいいことよ。しかも、それも納得いってないんでしょ?

私は「自分」を守るなと言いたいのではなく、やりたいことができない自分を責めるなと言いたい。自分に負荷をかけて頑張るタイプでないのなら自分もあまり納得できない理由で「自分」を庇うのではなく、もっと愛でろ。と、少し自分に対しても言っているのかもしれないなあ。

自分に自信がある人間はとても魅力的に見える。その人の発言や行動が全て正しいかのように見えてしまうこともある。でも、私は最近自分に自信がない人間の側にいることの方が多いし、その時間を心地よく感じている。マウントをとりたいという気持ちが微塵もないと言ったら嘘になるかもしれないが、一緒にいろんな可能性を探している感覚が力に繋がっているような気がしている。

 

不完全なものって輝いて見えるな。満月よりも三日月の方が趣深いとされるように少し欠けている方がおもしろい。くるりは「この淋しさを優しさに変えてゆきたい」と歌った。

不安定なものって刺激的だな。人間の弱っちい部分って脆くて繊細で敏感だ。ミスチルの曲でそんな歌詞があったな。かぞえうたって曲。中学三年生の時、宗教の授業で自分に勇気を与える曲を紹介するという時間にこの曲紹介したなーと今思い出した。純粋に綺麗な希望の歌を紹介してたんだな。なんか小っ恥ずかしい。

不幸せの方がネタになるな、、(笑)  川谷絵音は「足りないが心地よくなった」と歌っていた。

 

おばちゃんと会話するのが好きだ。作業が遅い私に苛ついていたかもしれないが、そんな素ぶり見せずに優しくサポートまでしてくださり、最後にはおこぼれまでいただいてしまった。(高級チョコレートは間違いなく美味)

手を止める暇もない程忙しい中、ときたまコミカルなギャグを見せて気持ちを柔らかくさせてくれるおばちゃんに感謝。そして、有難いことに幹部の方から長期で働かないかとのお声がけをいただいた。やはり、評価してもらうのは嬉しいものだね。人から好きと言われることよりも、自分のタスクのこなし加減を褒められることの方が嬉しいかもしれないと思った。

 

話が飛び飛びで村上春樹かっっって自分にツッコミを入れたいが、総じて言いたいことは、春休みいい感じでスタートを切ってますよということです。はい。

2泊3日

波長が同じ人はいないと思う。旅行に行くと毎度思うことだ。

誰と旅行に行っても疲れてしまうな。1泊ならまだしも、2泊以上になると限界に近づく。でも、前より楽しみ方が上手くなったと思う。

名古屋、伊勢・志摩に行ってきた。ご飯がとても美味しかった。名古屋では名古屋コーチン手羽先と鰻のひつまぶし、伊勢志摩では牡蠣やら松坂牛やらその他等々。お腹は大満足だ。観光スポットも割と行くことができて充実はしていた。

伊勢神宮はもう一度一人で行きたいと思った。半日かけてのんびり歩きながら全て周りたい。マイナスイオンに満ち溢れていた。そして、おっきな伊勢エビが食べたい。

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伊勢神宮-内宮-

疲れたと言ったけど、帰ってきた翌日から活動しているので元気なのです。その日、ランチで入ってみたラーメン屋さんが隠れ家感あって良かった。席が5席しかなかった。サニーデイ・サービスの田中さんが常連さんらしく、バンドの話をした。ここは3年前バーだったらしい。煮干しラーメン美味しかった。今月末、また神泉に行く用事があるのでその時は担々麺を食べよう。

制御

あの腹の底から湧き上がってくる言葉で表現しにくい恐怖感は突然やってくる。それとうまく付き合っていくには、その現象を消すことを目標にするのではなく、紛らわすことを目標にした方が気が楽だ。

それが持続されているときはどうにか色々やってみるしかないが、消えかけているときが一番恐ろしい。悍ましい。自分がどう対処しようとしていたか忘れてしまっているからだ。そして、それが数分前の私だ。

 

自分はなんだかんだ乗り越えてきた、まずそう言い聞かせよう。大丈夫だと。次に、頭だけではなく手や足なんでもいいから体を動かしてみよう。そうだそうだ。それからどうやってたっけなあ。

 

なぜ最近消えかけていたんだろう。朝、苦しくなかったのだろう。まあ、それはわかりきっていることだ。でも、前にも書いた通り過大に頼ってはいけない。お守りの効果は永遠ではない。お守りを多方面で増やしていけ。音楽を聞く、本を読む、人に会う、美味しいものを食べる、文章を書く。もっと。恐怖に怯えている暇はない、やりたいことは山盛りだ。

 

と、思ってたら元に戻った。大丈夫。

スローモーション

以前、台湾に行ったお土産でタピオカを貰った。貰った時にお礼を言ったけれど、自分で作って食べた感想は機会を逃してしまって言うことができていなかった。だから今度一緒にタピオカを飲んで、その時にお土産のタピオカが美味しかったことを言おうと決めていた。ちゃんと言うことができてよかった。

 

タピオカをテイクアウトして夜ご飯のお店まで飲みながらゆっくり歩いた。私のバイト先に向かう道を通った。お金貯めるの苦手だけど、目的無しにバイト頑張っていると言ったら、将来の自分の家の資金にしようなんて言って、そっから働き始めたら何処に住みたいかあーだこーだ討論し始めた。少し田舎感が欲しいよねと合意。学校卒業しても会いたいなとぼんやり思った。バイト帰りの疲労感が染み込まれた道に新たな味が加えられた。これからのバイト帰りが少し楽しみになった。

その日もいろんな話をした。音楽、小説、食べ物、ファッション、研究室、同窓会、旅行、将来のことなどなど本当にいろんな話ができた。お互いアホだから風邪ひかないね〜ってしょうもないことから幸福論についてまで。あと、今までしたことなかった話もできてよかった。

似ているんじゃなくて似てきたんだと思う。合わせてるんじゃなくて合わさってきたんだと思う。

この人がいなきゃ生きていけないわけではないけど、この人がいるかいないで私は変わってくる。この人がいても世界は変わらないかもしれないけど、この人がいる世界は私の明日を少し輝かせている。

確実に力になっているよ。

よく噛んで食べなさい

いつも通り友達とお昼ご飯を食べていた時の話。

「ホッピーさん(私)って素の味を大事にするよね」と突然友達に言われた。

ん?素の味ってなんじゃ・・・と思った。その日の私のお昼ご飯は、鮭おにぎりと塩おにぎりとコーヒーゼリーだった。

「おにぎり買うのはわかるけど、塩おにぎり選ぶ人いる?しかも、そのお供も鮭ってシンプル〜」と。

いや、塩おにぎりに失礼だわ、序でにされた鮭にも。売られているんだからある程度の需要はあるのだろう。でも、確かに自分以外で塩おにぎりを好んで選ぶ人を見たことがない。

私は単に塩が好きってのもあるけれど、おにぎりの具材があまり好きではないという理由で塩おにぎりを選ぶことが多い。おにぎりの定番の具材といえば、昆布、梅、おかかなどが挙げられるが、どれも苦手である。コンビニで売っているツナマヨも少し苦手なので、そうなると大体塩おにぎりと鮭おにぎりの組み合わせとなってしまう。ちなみに最近はしなしなの海苔で包まれているおにぎりが好きで、ファミリーマートにはパリパリのおにぎりとしなしなのおにぎりの両方が売られているので愛用している。

パンよりごはん派である私は、昔からおむすびが好きだ。祖母に巻いてもらう海苔巻きが一番ということは昔から変わらない。巻いてもらった海苔巻きをポイポイ口に突っ込んでいた私を未だに思い出すことができる。私にとっての天使は永遠に祖母である。

 

「愛されて育ったのがよくわかる」と二人から言われたことがある。全く別場面で。その言葉を言われた時は、あーわがままだからかなと思っていた。それもあるかもしれない。でも、ちょっと違うことも関係していることに気が付いた。

私は家族とのエピソードや、自分の幼少期の出来事をよく話す気がする。誰しもそういう微笑ましい話があることを前提に小さい頃の話をしていた。でも、みんながそうではないんだよな。わかってはいたけど。私は自分のアホな話をアホだなと思ってほしくて話していても、そこの部分ではない部分を過大にピックアップする人もいる。変に気を使うのも違うかもしれないけれど、相手の境遇や背景に何があっても害が及ばない話がしたいと思う。今更だけど本当に自分が自由というか自分勝手に生きてきたことを実感する。

でも、何より笑いながら小さい時の話をすることができることをありがたく思った。幸せは辛さよりも気がつくことができない。小さい幸せは小さい辛さのようにたくさん転がっているはずなのに人間はどうしても辛さに目を向けがちだ。だから私は目一杯その小さい幸せを感じたいと思って、いろんなことを幸せだと変換し始めている。それを基準を下げているというのならばそれでいいや。気付けないよりはいい。

楽しそうに見えるならそれでいいし、能天気に見えるならそれでいい。あなたを苦しめていないならそれでいいのです。

 

彗星

一時期、見た夢の内容をノートに書いていた。

ほっこりはんが以前、見た夢や人と話した会話をメモってたと言ってたのをきっかけに始めた試みだった。その時は怖い夢だったり、悲しい夢だったりとあまりいい夢を見ていない時期だった。

書き続けてみると不思議なことがわかった。現実では見たことがない場所なのに、夢の中では2回訪れている場所があった。それをほっこりはんに言ったら、もっと前から夢で訪れてるかもしれないね〜なんて言ってたけど、そこはどこなんだろう。駄菓子屋さんみたいなこじんまりとした雰囲気で、少し屋台が立ち並ぶ場所。活気はあるとは言えないが、古びている感じはない。通り道が狭くて、壁は竹や笹で出来ていて和風。

2回目に訪れたのが去年の9月。それからは見ていない。最近は夢を書いていないし、前より意識していない。でも、朝起きた時に割といい夢を見た感覚が残っている。あまりいい夢を見ていなかった時期は、夢くらいいい夢見させてよと思っていたが、いい夢を見ていると現実とのギャップにやられそうだ。現実が悪いってわけではないんだけれども。

来月ほっこりはんに会えると思うから、タピオカ飲みながら最近どんな夢を見ているのか聞いてみよう。