色はいらないけど軸がほしい

音楽、本、映画、人、言葉、時間その他諸々

パウエル

2019年3月11日、アコースティックギターを買った。

大学入学当初、バンドサークルに入りたくて、何個かのバンドサークルを見学したが結局面倒になって入らなかった。その時はエレキギターを弾けるようになりたかった。「どうせ買っても続かないよ」と言われて、確かにそうだなと納得してしまったのが始めなかった大きな要因だと思う。大して意欲も愛もなかった。その後も何度か楽器を始めたいと思ったことはあった。それはギターだったり、ベースだったり、ドラムだったり、バイオリンだったり。でも、始めたいと思っても心の何処かで結局始めないんだろうなーと思っていた。

なぜ今回は購入までの道のりに至ったのかをこれから書こうと思ったんだけれど、いろんな理由がごちゃまぜになってこんがらがっちになったからまた今度機会があれば書こうかな(笑)

実を言うと、ギターを買って3日目にして弦を壊してしまって、娘が泣いて帰ってきたときくらいショックというか心配だったんだけど、今日楽器屋さんで弦交換してもらって無事直りました。一安心。(子供いないってかそもそも結婚してない)弦交換は自分でやる人が多いんだけど、今の自分がやり出したら全部の弦がくるいそうでやめた。壊してしまった日、泣きそうになりながら楽器屋さんに電話したら素晴らしい対応をしてくれたので有難かった。そして、楽器屋さんのスタッフの方が私のことを覚えていてくれて嬉しく思った。

ギターに今を染み込ませて、数年後今を感じられたらいいな。でも、今を感じられないくらいずっと一緒に生きていきたいとも思う。心から思う、ギター買ってよかった。

 

卒業

二日間丸々何も用事がない(人に会わない)ことがかなり久しぶりで、どう過ごそうか、どう過ごせるのか想像つかなかったが、鬱になることなく無事二日間終えた。特に何かをした訳ではないがリフレッシュした。でも二日間丸々OFFはもう要らないかな(笑)

一日目はちょこっとお掃除して、二日目はお料理してたくさん調べものをした。ちなみに睡眠時間は二日間で計20時間を超えていた。昼夜逆転生活だったが、今日しっかり朝と言える時間に起きることができたので一安心だ。

 

お昼前に用事がないときは大体朝早く余裕を持って起きることはないのだが、今朝きちんと起きることができたことにはしっかりとした理由がある。それは、朝ごはんを楽しみにしていたからだ。冷蔵庫には納豆、ヨーグルト、卵、フルーツ、サラダがあり、私にしてはかなり品揃え良さげである。しかし、少しも悩むことなく納豆をチョイス。昨日、超小粒のおかめ納豆をスーパーで見つけて明日食べようと既に決めていた。青ねぎを加えてマゼマゼ。え、楽しいんですが。納豆楽しいな。ということで、これはまたマイブームになる予感。そして、お昼はフォーを食べる予定です。フォー好きなんだよなあ、ベトナム料理好き。なかなか難しいかもしれないけれど、一日三食生活を意識していきたいと思った。

赤裸々

人からおすすめされた小説を読んで自分にフィットすることは多いが、人からおすすめされた音楽を聞いて自分にフィット、、どころかグッとくることはほとんど無い。それは「好き」がある程度確立されているか否かの違いだろうが、それでも私は人に好きな音楽を尋ね続ける。

人と一緒にライブに行くことがなくなった今、不要な気遣いなしにとても気楽な気持ちでライブハウスに身を投げている。ライブハウスに入ったら、会場BGMに心踊らせジントニックを一杯。そして会場の端っこに移動。それがルーティーンとなっている。帰りは決まって最寄り駅の一つ前で降りて、余韻に浸りながらいつもの10分の1くらいのスピードで歩く。この時間が最高に好きだ。グッドミュージックと共に夜の街を歩く自分に酔いしれる時間。これが壊されるのは御免である。だから友人からライブに連れて行ってと言われても、丁重にお断りをしている次第であった。

ところがどっこい、今月末に友人と一緒にライブへ行く。 ぼっちではないライブが久しぶりで少々緊張している。でも、楽しみでもある。私はどんな気持ちになるのだろう。やっぱり一人がいいってなるのか、それともたまには人と一緒に行くのもいいなとなるのか。ふふ。素敵な一日になることを願います。

 

お偉いさんに「強い『個』を重視します」と言われ、自分の個性ってなんだろう、気に入ってもらえる自分ってなんだろうと考えてた昨日だったが、一晩寝たら「私をお前に理解されてたまるか」とヤンキーホッピーさんが現れた。かわいいな、私。大人になってもそのフィーリング忘れないでいてほしい。

 

 

 

多角的混在革命

雨宿りをするには足りないほどの煌きが

着地した

その正体に気づくことができなくて

頭を困らせる

あなたは誰 どこから来たの

教えてくれないか

 

君はいつも側にいてくれたね

ここにいてよかったのかなんて思ったこともあったけど

僕は嬉しかったよ

はっきりとはわからない でもなんとなくわかるんだ

今なら

 

君が誰だろうと構わない

名前など尋ねない

温かく受け容れようと思ったんだ

だから顔を出してくれ 

魅せなくていい 迎えにいくよ

 

空を飛んでいた

「何かに対して熱意がない」と友人が言った。何かやりたいと思っても、思うだけで実行には至らないと。ふーん、本当にやりたいと思ってないから熱量がないのでは、と思ったけど、そうではないと。最終的には「母親も同じなんだよね、遺伝かな」と遺伝の所為にし出した。可能性に同情。まあ多分、やりたいことをやることができないってのはその何か自体に焦点は当ててなくて、その何かをしている「自分」に焦点がいってるんだろうね。だから、その何かをできない「自分」を守るために何かをできないのは自分ではなく遺伝だと。都合のいいことよ。しかも、それも納得いってないんでしょ?

私は「自分」を守るなと言いたいのではなく、やりたいことができない自分を責めるなと言いたい。自分に負荷をかけて頑張るタイプでないのなら自分もあまり納得できない理由で「自分」を庇うのではなく、もっと愛でろ。と、少し自分に対しても言っているのかもしれないなあ。

自分に自信がある人間はとても魅力的に見える。その人の発言や行動が全て正しいかのように見えてしまうこともある。でも、私は最近自分に自信がない人間の側にいることの方が多いし、その時間を心地よく感じている。マウントをとりたいという気持ちが微塵もないと言ったら嘘になるかもしれないが、一緒にいろんな可能性を探している感覚が力に繋がっているような気がしている。

 

不完全なものって輝いて見えるな。満月よりも三日月の方が趣深いとされるように少し欠けている方がおもしろい。くるりは「この淋しさを優しさに変えてゆきたい」と歌った。

不安定なものって刺激的だな。人間の弱っちい部分って脆くて繊細で敏感だ。ミスチルの曲でそんな歌詞があったな。かぞえうたって曲。中学三年生の時、宗教の授業で自分に勇気を与える曲を紹介するという時間にこの曲紹介したなーと今思い出した。純粋に綺麗な希望の歌を紹介してたんだな。なんか小っ恥ずかしい。

不幸せの方がネタになるな、、(笑)  川谷絵音は「足りないが心地よくなった」と歌っていた。

 

おばちゃんと会話するのが好きだ。作業が遅い私に苛ついていたかもしれないが、そんな素ぶり見せずに優しくサポートまでしてくださり、最後にはおこぼれまでいただいてしまった。(高級チョコレートは間違いなく美味)

手を止める暇もない程忙しい中、ときたまコミカルなギャグを見せて気持ちを柔らかくさせてくれるおばちゃんに感謝。そして、有難いことに幹部の方から長期で働かないかとのお声がけをいただいた。やはり、評価してもらうのは嬉しいものだね。人から好きと言われることよりも、自分のタスクのこなし加減を褒められることの方が嬉しいかもしれないと思った。

 

話が飛び飛びで村上春樹かっっって自分にツッコミを入れたいが、総じて言いたいことは、春休みいい感じでスタートを切ってますよということです。はい。

2泊3日

波長が同じ人はいないと思う。旅行に行くと毎度思うことだ。

誰と旅行に行っても疲れてしまうな。1泊ならまだしも、2泊以上になると限界に近づく。でも、前より楽しみ方が上手くなったと思う。

名古屋、伊勢・志摩に行ってきた。ご飯がとても美味しかった。名古屋では名古屋コーチン手羽先と鰻のひつまぶし、伊勢志摩では牡蠣やら松坂牛やらその他等々。お腹は大満足だ。観光スポットも割と行くことができて充実はしていた。

伊勢神宮はもう一度一人で行きたいと思った。半日かけてのんびり歩きながら全て周りたい。マイナスイオンに満ち溢れていた。そして、おっきな伊勢エビが食べたい。

f:id:hoppysan:20190207114549j:plain

伊勢神宮-内宮-

疲れたと言ったけど、帰ってきた翌日から活動しているので元気なのです。その日、ランチで入ってみたラーメン屋さんが隠れ家感あって良かった。席が5席しかなかった。サニーデイ・サービスの田中さんが常連さんらしく、バンドの話をした。ここは3年前バーだったらしい。煮干しラーメン美味しかった。今月末、また神泉に行く用事があるのでその時は担々麺を食べよう。

制御

あの腹の底から湧き上がってくる言葉で表現しにくい恐怖感は突然やってくる。それとうまく付き合っていくには、その現象を消すことを目標にするのではなく、紛らわすことを目標にした方が気が楽だ。

それが持続されているときはどうにか色々やってみるしかないが、消えかけているときが一番恐ろしい。悍ましい。自分がどう対処しようとしていたか忘れてしまっているからだ。そして、それが数分前の私だ。

 

自分はなんだかんだ乗り越えてきた、まずそう言い聞かせよう。大丈夫だと。次に、頭だけではなく手や足なんでもいいから体を動かしてみよう。そうだそうだ。それからどうやってたっけなあ。

 

なぜ最近消えかけていたんだろう。朝、苦しくなかったのだろう。まあ、それはわかりきっていることだ。でも、前にも書いた通り過大に頼ってはいけない。お守りの効果は永遠ではない。お守りを多方面で増やしていけ。音楽を聞く、本を読む、人に会う、美味しいものを食べる、文章を書く。もっと。恐怖に怯えている暇はない、やりたいことは山盛りだ。

 

と、思ってたら元に戻った。大丈夫。