色はいらないけど軸がほしい

音楽、本、映画、人、言葉、時間その他諸々

過去も未来も今も

最近、書きたいことがあまりないのは確かなんだけど、書きたいことが浮かんで書き始めても途中で息絶えてしまう。だから下書きが溜まっていく。聞き上手について、いろんな不安な気持ちについて、好きなものを好きでい続けることについて、小学生の頃の放課後について。おそらくこれらの下書きは公開されずボツになる。

古舘佑太郎の定期的に更新されないブログを読む度に私は前というより上を向こうと思える。古舘佑太郎という人物とサシで飲んだこともないし、昔から知っている訳でもないけれど、彼の言葉からはなぜか安心感が得られる。いや、知らないからこそ信じられるのかもしれない。申し訳ないが、彼が歌い手として”絶対売れる”とは思わない。でもライブに行きたくなる。歌い手としても好きである。結局何が言いたいんだよ!!と思う歌詞が多々あり、理解に苦しむ。分かりやすい言葉で書かないし、曲のテイストがまちまちだから、人によって受け取り方がかなり違うかもしれない。特定のファン層がない。だけど、そこが魅力でもある。私は、疾走感の中にメッセージが込められている魂みたいなものが二つ折りになってゆっくりと舞っているイメージを彼らのバンド(2)に抱いている。小さなフェスも含めたら5回以上2のライブを見ている訳だが、毎回風に巻き込まれている。一瞬だ。なのに、何も無くない、終わっていない。始まらせてくれる。

前ってどっち?ってなってしまう私に上を向くことを教えてくれた。上は分かるよ、足が地についているからね。でも、それは彼の歌からは学べなかったかもしれない。自分でもよくわからないけど。大人と子供の狭間のちょっと子供よりの心を大事にしていることをブログから感じて、で多分私はその心が大好きで誰に対しても(もちろん自分に対しても)それを大事にしてほしくて、それを無くさないでほしくて。見えなくても持っていてほしい。だから、2030年に再会した時はその心を感じて、受け入れたい。遠いようで近い未来の話。

新学期が始まる前は意気込んで一週間の理想のスケジュールを作っちゃうんだけど、大体それは50%も実行できない。だから、今回もどれくらい実行できないか少し楽しみだ。今年こそ勉強をしたいと思っている、今は。教習所で、身につけることよりこなすことを選んだ私だが、今年はそういう年にしたくない。また新しい自分に出会いたい。