色はいらないけど軸がほしい

音楽、本、映画、人、言葉、時間その他諸々

仮面マトリョーシカ

「優秀な人」という括りに疑問を覚えたのは中学生の頃だった。先生から評価される人間が優秀なのか、友達から慕われる人間が優秀なのか。私はどちらでもなかったから「優秀な人」の仲間入りは出来なかったが、そもそも仲間入りしたいとも思わなかった。その所謂「優秀な人」に感心したことがなかったし、魅力を感じなかったから。

大学生になってからも「優秀な人」に出会わなかった。自分の中の解釈も定まっていないから見つかるわけがない。でも、就活を少しずつ始めて、さまざまな人と出会う中で優秀な人って本当にいるんだなと思った。

会社概要などで "我が社は優秀な人材を揃えています" という文字を見て、自分で言うなし!と思うのだけれど、変に謙虚になっても誰も志望しないよな。そして、実際に足を運んでイベントに参加すると、まずその場に集まる同期に圧倒される。そして、就活を終えた先輩や、企業の方。周りにいる人が凄い経歴を持っている人ばかりで眩暈がする。

でも、患っている場合ではないのだ。最終的にはその人たちに勝たないといけないが、その前に私はまだ武器すら持っていない。まだ選んでいる段階だ。武器選び、進む道、戦う相手。選択の幅は無限大で困ってしまうが、ここが一番肝心だ。面接や面談でフルボッコにされる毎日だが、全て意味のあるフルボッコだと捉えている。今やるべきことを順序よく。頑張れ。

最近就活を始めた友達が「諦めは大事だよ」なんて言ってたけど、お前がプライド高いだけだ。同じにすんな。まあでも、人間には優しくね。「ウンウン」言ってればいいのよ。うんうん。

さあ学校行こか。今日もいい天気です。

命に執着する者

中村文則の『掏摸』と『王国』を読んだ。今は『遮光』を読んでいる。私がこの作家さんを知ったきっかけは某SNSだ。少ないながら自分が読んだ本の作家さんの中で、読みやすくておもしろいと思った作家さんを好む人の好む他の作家さんを抽出した。その中の一人が中村文則である。そして、ジャケ裏のあらすじを読み、興味をもった本が『掏摸』だった。読み終えた時、一言で言うと「世の中は残酷だ」と思った。でも、不快感だけで終わらなかったのが事実であり、なぜか僅かばかり爽快感もあった。この物語に出てくる超重要人物、木崎。世間的な目で見ると極悪人なのかもしれない。彼の過去が語られる場面もなく、弱さが垣間見える場面もないので情が湧くことが無いのは当たり前で、愛されるキャラクターではない。でも、共感とまでいかないが、彼の持っている価値観の一部にじーーんときた。『王国』でも木崎は登場するのだが、彼の人間性が濃く表れるにつれ、更に惹き込まれている自分がいた。

 

「その刺されて苦しむ男を、残忍に見るだけではつまらない。笑いながら見るのでもつまらない。しっかり同情するんだ。そいつの恋人やそいつを育てた親になどまで想像力を働かせ、同情の涙を流しながら、しかしもっと深く、もっと深くナイフを刺す。その時、命を破壊する残忍で圧倒的な喜びと同時に、その命に同情する温かで善良な感情が染みるように広がる。その相反する二つの感情は人間の限界超える。善と悪が互いに刺激し合い、その感情は人間の許容範囲を超えどこまでも上昇していく。渦のように。肝心なのは、全てを余すことなく味わい尽くすことだ。なかなかいいぞ、その瞬間は。」

 

捉え方次第で人生ははっぴいである。

絵馬

また京都に行ってきました。4ヶ月振り。

とりあえず、お腹破裂するんじゃないかってくらい美味しいものたくさん食べた。今回の旅のメイツは胃袋大きい集団だったから、とても安心したってか逆にたくさん食べれるか焦るくらいだった。(ありがたい)食べたいもの聞いてくるくせに、私の食べたいもの全部却下してくるところも好き。疲れたら疲れたね、よく歩いたねって言って大して歩いていないのにお昼寝しだすところも好き。個性が強くて、それぞれ違ったカラーを持っているけど、息が合うのはなぜだろう。化学結合

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さくら

皆やんちゃなんだけど、根っこは真面目で努力家な方々で、それは今も変わらなくて会うたびに私も頑張らなくてはと思える。真面目な話をするわけではないけど、勝手にエネルギーを貰っている。多分、私のダメダメなところをよくわかっている。それでも受け入れてくれる貴重な友達だ。前、お酒の力に頼って「なんで私と会ってくれるの」と聞いたことがある。(彼女か!)その返答自体は思い出せないんだけど、とても嬉しく思った記憶はある。高校卒業するまではみんなが敵に見えていたけど、そんなことなくなったな。今の距離感のおかげでもあり、少し成長したからでもあるとは思うけど、その面では母校に感謝している。4月から忙しくなるけれど、大事にしたいものは大事にしよう。

冬にインターンやら研究室選考やらでエントリーシートを書く機会があったが、あまりうまくいかなくて思っていた以上にメンタルが削られた。でも、今思えば出し切っていないし、改善の余地しかないものだった。何も頑張っていない。これからもっともっとESを書く機会が増える。(今既に結果待ちが二つある)メンタル擦り減ってもいいから、不必要な悲しみにぶち当たるのは避けたい。頑張ったと言いたい。

帰ってきてギターに触った。今日も好きだったから良かった。

過去も未来も今も

最近、書きたいことがあまりないのは確かなんだけど、書きたいことが浮かんで書き始めても途中で息絶えてしまう。だから下書きが溜まっていく。聞き上手について、いろんな不安な気持ちについて、好きなものを好きでい続けることについて、小学生の頃の放課後について。おそらくこれらの下書きは公開されずボツになる。

古舘佑太郎の定期的に更新されないブログを読む度に私は前というより上を向こうと思える。古舘佑太郎という人物とサシで飲んだこともないし、昔から知っている訳でもないけれど、彼の言葉からはなぜか安心感が得られる。いや、知らないからこそ信じられるのかもしれない。申し訳ないが、彼が歌い手として”絶対売れる”とは思わない。でもライブに行きたくなる。歌い手としても好きである。結局何が言いたいんだよ!!と思う歌詞が多々あり、理解に苦しむ。分かりやすい言葉で書かないし、曲のテイストがまちまちだから、人によって受け取り方がかなり違うかもしれない。特定のファン層がない。だけど、そこが魅力でもある。私は、疾走感の中にメッセージが込められている魂みたいなものが二つ折りになってゆっくりと舞っているイメージを彼らのバンド(2)に抱いている。小さなフェスも含めたら5回以上2のライブを見ている訳だが、毎回風に巻き込まれている。一瞬だ。なのに、何も無くない、終わっていない。始まらせてくれる。

前ってどっち?ってなってしまう私に上を向くことを教えてくれた。上は分かるよ、足が地についているからね。でも、それは彼の歌からは学べなかったかもしれない。自分でもよくわからないけど。大人と子供の狭間のちょっと子供よりの心を大事にしていることをブログから感じて、で多分私はその心が大好きで誰に対しても(もちろん自分に対しても)それを大事にしてほしくて、それを無くさないでほしくて。見えなくても持っていてほしい。だから、2030年に再会した時はその心を感じて、受け入れたい。遠いようで近い未来の話。

新学期が始まる前は意気込んで一週間の理想のスケジュールを作っちゃうんだけど、大体それは50%も実行できない。だから、今回もどれくらい実行できないか少し楽しみだ。今年こそ勉強をしたいと思っている、今は。教習所で、身につけることよりこなすことを選んだ私だが、今年はそういう年にしたくない。また新しい自分に出会いたい。

 

パウエル

2019年3月11日、アコースティックギターを買った。

大学入学当初、バンドサークルに入りたくて、何個かのバンドサークルを見学したが結局面倒になって入らなかった。その時はエレキギターを弾けるようになりたかった。「どうせ買っても続かないよ」と言われて、確かにそうだなと納得してしまったのが始めなかった大きな要因だと思う。大して意欲も愛もなかった。その後も何度か楽器を始めたいと思ったことはあった。それはギターだったり、ベースだったり、ドラムだったり、バイオリンだったり。でも、始めたいと思っても心の何処かで結局始めないんだろうなーと思っていた。

なぜ今回は購入までの道のりに至ったのかをこれから書こうと思ったんだけれど、いろんな理由がごちゃまぜになってこんがらがっちになったからまた今度機会があれば書こうかな(笑)

実を言うと、ギターを買って3日目にして弦を壊してしまって、娘が泣いて帰ってきたときくらいショックというか心配だったんだけど、今日楽器屋さんで弦交換してもらって無事直りました。一安心。(子供いないってかそもそも結婚してない)弦交換は自分でやる人が多いんだけど、今の自分がやり出したら全部の弦がくるいそうでやめた。壊してしまった日、泣きそうになりながら楽器屋さんに電話したら素晴らしい対応をしてくれたので有難かった。そして、楽器屋さんのスタッフの方が私のことを覚えていてくれて嬉しく思った。

ギターに今を染み込ませて、数年後今を感じられたらいいな。でも、今を感じられないくらいずっと一緒に生きていきたいとも思う。心から思う、ギター買ってよかった。

 

卒業

二日間丸々何も用事がない(人に会わない)ことがかなり久しぶりで、どう過ごそうか、どう過ごせるのか想像つかなかったが、鬱になることなく無事二日間終えた。特に何かをした訳ではないがリフレッシュした。でも二日間丸々OFFはもう要らないかな(笑)

一日目はちょこっとお掃除して、二日目はお料理してたくさん調べものをした。ちなみに睡眠時間は二日間で計20時間を超えていた。昼夜逆転生活だったが、今日しっかり朝と言える時間に起きることができたので一安心だ。

 

お昼前に用事がないときは大体朝早く余裕を持って起きることはないのだが、今朝きちんと起きることができたことにはしっかりとした理由がある。それは、朝ごはんを楽しみにしていたからだ。冷蔵庫には納豆、ヨーグルト、卵、フルーツ、サラダがあり、私にしてはかなり品揃え良さげである。しかし、少しも悩むことなく納豆をチョイス。昨日、超小粒のおかめ納豆をスーパーで見つけて明日食べようと既に決めていた。青ねぎを加えてマゼマゼ。え、楽しいんですが。納豆楽しいな。ということで、これはまたマイブームになる予感。そして、お昼はフォーを食べる予定です。フォー好きなんだよなあ、ベトナム料理好き。なかなか難しいかもしれないけれど、一日三食生活を意識していきたいと思った。

赤裸々

人からおすすめされた小説を読んで自分にフィットすることは多いが、人からおすすめされた音楽を聞いて自分にフィット、、どころかグッとくることはほとんど無い。それは「好き」がある程度確立されているか否かの違いだろうが、それでも私は人に好きな音楽を尋ね続ける。

人と一緒にライブに行くことがなくなった今、不要な気遣いなしにとても気楽な気持ちでライブハウスに身を投げている。ライブハウスに入ったら、会場BGMに心踊らせジントニックを一杯。そして会場の端っこに移動。それがルーティーンとなっている。帰りは決まって最寄り駅の一つ前で降りて、余韻に浸りながらいつもの10分の1くらいのスピードで歩く。この時間が最高に好きだ。グッドミュージックと共に夜の街を歩く自分に酔いしれる時間。これが壊されるのは御免である。だから友人からライブに連れて行ってと言われても、丁重にお断りをしている次第であった。

ところがどっこい、今月末に友人と一緒にライブへ行く。 ぼっちではないライブが久しぶりで少々緊張している。でも、楽しみでもある。私はどんな気持ちになるのだろう。やっぱり一人がいいってなるのか、それともたまには人と一緒に行くのもいいなとなるのか。ふふ。素敵な一日になることを願います。

 

お偉いさんに「強い『個』を重視します」と言われ、自分の個性ってなんだろう、気に入ってもらえる自分ってなんだろうと考えてた昨日だったが、一晩寝たら「私をお前に理解されてたまるか」とヤンキーホッピーさんが現れた。かわいいな、私。大人になってもそのフィーリング忘れないでいてほしい。