色はいらないけど軸がほしい

音楽、本、映画、人、言葉、時間その他諸々

茄子をおいしいと感じた日

 『本』

私は昔から本を読む、所謂字を追うという行動が苦手だった。

理由は明確である。以下の3点。

 

 ・集中力がない

 ・興味が一方通行

 ・飽き性

 

じーっと座っていられない典型的な問題児の特徴3点セットが揃いに揃いました。

おそらく今でも度合いは違えど当てはまらなくはない。

 

一つのことに集中することを難なくできる人っているもので

身近な人だと兄が例えに挙げられるのだが

何かに夢中になるとそれ以外のセンサーはシャットアウト!

いや、凄い。私には出来ない。

 

私は一つのことに集中できない癖して、興味の幅は狭かった。

バレエ、ピアノ、水泳、絵画教室とさまざまな習い事をさせてもらったが

「100%好き」と思える習い事は一つもなかった。

 

その中でもバレエは好きだった。

踊ること自体がとても好きだったんだと思う。形式の中に自己を含ませて、褒められた時の自己肯定感が堪らなかった。

でも、周りの環境があまり居心地よくなかった。

熱意の差を感じていた。

 

ピアノは楽譜をぐちゃぐちゃにして(2回ほど)先生を困らせていた。自分の曲を作ってもらったが、結局その曲も弾けず仕舞いであった。情けない。

ちなみにサンタクロースの存在を暴露したのはこの先生。

 

水泳も仮病を使ってコーチを困らせたことがあった。親に迎えに来てもらって頭痛を本気で心配された時は罪悪感が半端ではなかった。

だから塩素臭はあまり嗅ぎたくない。喚起させられるから。

 

絵画教室は苦痛ではなかったけれど、ただただ自分の絵心の無さに笑けていた。絵心はないが、絵を描くことは好きだ。

今となればどうでもいいことだけれど、絵画教室の先生は私の兄を可愛がっていた。

真面目に取り組んでくれる子どもは可愛い(僅かであったが塾の講師のアルバイトをして思った)

 

 

習い事をしていたのは主に小学生の頃。私は何が好きだったのだろう。

”青い遊具”という小学校にあった遊具にぶら下がっていた記憶ばかり。東日本大震災が起こった時もあの遊具にぶら下がっていた。

 

先日、久しぶりに小学校付近をお散歩した。

”青い遊具”は綺麗に塗装されていたが、景観に馴染んでいないように思った。そして、もの寂しさをも感じられた。

 

 

小さい時に自分の興味が見つからなかったから

今も興味を探し続けているのかもしれない。

読書がおもしろいと感じるようになった今、一つに拘るのではなく幅を広げていきたいと思う。

 

でも、

電車の中で本読みながら涙を流すのはちょっと控えよう。

 

 

好き嫌いを判断するためには、まず知る必要がある。

食わず嫌いは一番だめだ

「100%好き」じゃなくても意外な所に「好き」が潜んでいるかもしれない。

無駄なことなど何一つない、いや逆に全てが無駄なことかもしれない。

それでもやってみたいと思う。それでいい。

 

そう、意外と茄子もおいしいんだから。