色はいらないけど軸がほしい

音楽、本、映画、人、言葉、時間その他諸々

素面

先月は友達と遊ぶのをやめよう期間だった。

 

11月はそれを継続するでも、久しぶりに友達と遊ぶでも好きにしようと10月下旬に思った。

その時は、

あー友達と遊びたくなるんだろうなー

と思っていたのだが、11月上旬になったら、

なんだ、別にこのまま継続でもよくない?

てな感じになってまして。

 

意外と10月が充実したものになっていたのよね。まあ充実と言っても隙間時間を読書に費やしてたってだけなんだけど、心地よかった。心が非常に落ち着いていた。学校で友人に最近ぼーっとしてるねと言われるくらいには穏やかだった。

 

でも、心のどこかで人間を求めていたんだと思う。

ほっこりはんに会いたくなって、突然電話した。

前に「電話していい?」って前置きしたら「かけたいときにかけろ」と言われたので、突然かけてみた。

 

プルルルル、、、、、

 

でないやん!!!あーもう拗ねた。ふて寝する!

 

て、お布団に潜ってたら、電話かかってきた。スタバでお勉強してたんだと。それからゲラゲラ笑いながら久しぶりのほっこりはんを堪能した。30分だけ。

久しぶりに友達とゆっくりお話できて嬉しかった。

 

 

「変わったね」という言葉は「変わったね、よかったね」と「変わってしまったね」の2種類の使い方がある。

「変わってしまったね」の言葉を貰って、いい気持ちになる人は少ないだろう。でも「変わったね」が使われる時、この意味が含まれることが多いように思う。

 

変わりたいと意識していても、無意識的であっても、相手が思う「変わる」というのは相手にとって都合のいい自分かどうかということである。つまり、「変わってしまったね」は「私にとって都合のいい貴方ではなくなった」と言われているのと同じことなのだ。

 

だから、「変わってしまったね」と言われても落ち込まなくていいのだ。

 

寧ろ、都合のいい自分ではなくなったんだ、イエーイくらいに思っていい。

好きな人の好きになるのも素敵なことかもしれないが、私は自分に自分を問い続けたいと思う。目指す先は決まってないし一つではない。今は荷物を持とうとしている状態だが、荷物をたくさん持ったら下ろしていき、最終的には何も持っていない状態でちゃんと自分を表せるようにしたい。それは、誰かが私を認識するという意味ではなく、自分が自分と思えればいいという意味だ。

 

最近、周りの友達複数人が「過去に戻りたい」って言ってるのを聞く。

気持ちは分からなくはないが、私は過去に戻りたいと思わない。

今が楽しいから!というより、後悔がないからかな。あの時ああしとけばよかった、、、って、それができなかったからその選択になったわけで、あの時の自分はその行動しかできなかったよーて。

でも、過去が変えられないからって見ないのもなんか違うかなって思う。

前よりも自分が納得する行動を取るためには、前の自分と向き合う必要があるからね。

今すぐじゃなくてもいいから、徐々に。

 

まだリュックサックの中身は溢れるほどものがないよ。