空を飛んでいた
「何かに対して熱意がない」と友人が言った。何かやりたいと思っても、思うだけで実行には至らないと。ふーん、本当にやりたいと思ってないから熱量がないのでは、と思ったけど、そうではないと。最終的には「母親も同じなんだよね、遺伝かな」と遺伝の所為にし出した。可能性に同情。まあ多分、やりたいことをやることができないってのはその何か自体に焦点は当ててなくて、その何かをしている「自分」に焦点がいってるんだろうね。だから、その何かをできない「自分」を守るために何かをできないのは自分ではなく遺伝だと。都合のいいことよ。しかも、それも納得いってないんでしょ?
私は「自分」を守るなと言いたいのではなく、やりたいことができない自分を責めるなと言いたい。自分に負荷をかけて頑張るタイプでないのなら自分もあまり納得できない理由で「自分」を庇うのではなく、もっと愛でろ。と、少し自分に対しても言っているのかもしれないなあ。
自分に自信がある人間はとても魅力的に見える。その人の発言や行動が全て正しいかのように見えてしまうこともある。でも、私は最近自分に自信がない人間の側にいることの方が多いし、その時間を心地よく感じている。マウントをとりたいという気持ちが微塵もないと言ったら嘘になるかもしれないが、一緒にいろんな可能性を探している感覚が力に繋がっているような気がしている。
不完全なものって輝いて見えるな。満月よりも三日月の方が趣深いとされるように少し欠けている方がおもしろい。くるりは「この淋しさを優しさに変えてゆきたい」と歌った。
不安定なものって刺激的だな。人間の弱っちい部分って脆くて繊細で敏感だ。ミスチルの曲でそんな歌詞があったな。かぞえうたって曲。中学三年生の時、宗教の授業で自分に勇気を与える曲を紹介するという時間にこの曲紹介したなーと今思い出した。純粋に綺麗な希望の歌を紹介してたんだな。なんか小っ恥ずかしい。
不幸せの方がネタになるな、、(笑) 川谷絵音は「足りないが心地よくなった」と歌っていた。
おばちゃんと会話するのが好きだ。作業が遅い私に苛ついていたかもしれないが、そんな素ぶり見せずに優しくサポートまでしてくださり、最後にはおこぼれまでいただいてしまった。(高級チョコレートは間違いなく美味)
手を止める暇もない程忙しい中、ときたまコミカルなギャグを見せて気持ちを柔らかくさせてくれるおばちゃんに感謝。そして、有難いことに幹部の方から長期で働かないかとのお声がけをいただいた。やはり、評価してもらうのは嬉しいものだね。人から好きと言われることよりも、自分のタスクのこなし加減を褒められることの方が嬉しいかもしれないと思った。
話が飛び飛びで村上春樹かっっって自分にツッコミを入れたいが、総じて言いたいことは、春休みいい感じでスタートを切ってますよということです。はい。