色はいらないけど軸がほしい

音楽、本、映画、人、言葉、時間その他諸々

よく噛んで食べなさい

いつも通り友達とお昼ご飯を食べていた時の話。

「ホッピーさん(私)って素の味を大事にするよね」と突然友達に言われた。

ん?素の味ってなんじゃ・・・と思った。その日の私のお昼ご飯は、鮭おにぎりと塩おにぎりとコーヒーゼリーだった。

「おにぎり買うのはわかるけど、塩おにぎり選ぶ人いる?しかも、そのお供も鮭ってシンプル〜」と。

いや、塩おにぎりに失礼だわ、序でにされた鮭にも。売られているんだからある程度の需要はあるのだろう。でも、確かに自分以外で塩おにぎりを好んで選ぶ人を見たことがない。

私は単に塩が好きってのもあるけれど、おにぎりの具材があまり好きではないという理由で塩おにぎりを選ぶことが多い。おにぎりの定番の具材といえば、昆布、梅、おかかなどが挙げられるが、どれも苦手である。コンビニで売っているツナマヨも少し苦手なので、そうなると大体塩おにぎりと鮭おにぎりの組み合わせとなってしまう。ちなみに最近はしなしなの海苔で包まれているおにぎりが好きで、ファミリーマートにはパリパリのおにぎりとしなしなのおにぎりの両方が売られているので愛用している。

パンよりごはん派である私は、昔からおむすびが好きだ。祖母に巻いてもらう海苔巻きが一番ということは昔から変わらない。巻いてもらった海苔巻きをポイポイ口に突っ込んでいた私を未だに思い出すことができる。私にとっての天使は永遠に祖母である。

 

「愛されて育ったのがよくわかる」と二人から言われたことがある。全く別場面で。その言葉を言われた時は、あーわがままだからかなと思っていた。それもあるかもしれない。でも、ちょっと違うことも関係していることに気が付いた。

私は家族とのエピソードや、自分の幼少期の出来事をよく話す気がする。誰しもそういう微笑ましい話があることを前提に小さい頃の話をしていた。でも、みんながそうではないんだよな。わかってはいたけど。私は自分のアホな話をアホだなと思ってほしくて話していても、そこの部分ではない部分を過大にピックアップする人もいる。変に気を使うのも違うかもしれないけれど、相手の境遇や背景に何があっても害が及ばない話がしたいと思う。今更だけど本当に自分が自由というか自分勝手に生きてきたことを実感する。

でも、何より笑いながら小さい時の話をすることができることをありがたく思った。幸せは辛さよりも気がつくことができない。小さい幸せは小さい辛さのようにたくさん転がっているはずなのに人間はどうしても辛さに目を向けがちだ。だから私は目一杯その小さい幸せを感じたいと思って、いろんなことを幸せだと変換し始めている。それを基準を下げているというのならばそれでいいや。気付けないよりはいい。

楽しそうに見えるならそれでいいし、能天気に見えるならそれでいい。あなたを苦しめていないならそれでいいのです。